「大吉原展」に感じた違和感…本当に吉原は「流行発信の最先端」なのか?
■現在上野の東京芸術大学美術館で開催中の「大吉原展」を見に行ってきました。吉原といえば、時代劇などでもおなじみ江戸時代の一大遊郭。浮世絵・錦絵・美人画の題材として知られる一方、前借金に縛られた女性達が性的搾取をされ続けてきた負の面を抱えた存在でもある。
この展覧会が発表された当初は「江戸時代の文化/アートの発信基地だった」という面のみを前面に押し出したプロモーションが行われ、負の面を無視しているのではとの批判が寄せられることに。その批判を受けて、今年の2月には以下のような声明が出され、開催されてからは以下の文言が前文として掲げられた。
「遊廓は人権侵害・女性虐待にほかならず、現在では許されない、二度とこの世に出現してはならない制度です。本展に吉原の制度を容認する意図はありません」
これによって、展示内容にはどのように変化したのだろうか? それが気になったので、4月5日に鑑賞してきました。結論から言うと吉原の陰陽それぞれの面をきちんと触れた展示ではありましたが、「江戸時代における吉原は、文芸やファッションなど流行の発信の最先端でもありました」というコンセプトには煮え切らない疑問を感じざる得ませんでした。
■展示フロアは地下二階と三階に分かれていて、展示作品数は膨大。特に江戸時代の多色刷りの粋を凝らした錦絵の数々を間近でじっくり見られるので、14時半に入場して見終わるのに閉館ギリギリ17時近くまでかかりました。これから行ってみようと考えられている方は時間に余裕を持っての来場をオススメします。
地下二階では落ち着いた照明と静謐な空間で、当時の吉原の様子を描いた錦絵や美人画を歴史の流れに合わせて展示しながら、その誕生と衰退を追っていくという構成。当時の遊女達がどのような境遇だったのかなども展示作品と合わせて解説されていて、作品の見事さに感心させられながらも、当時の状況などを色々考えさせられました。
そんな展示が3階に上がると一転。場内に和の音楽が流れ照明も明るく、「華やかな吉原」に見立てた場内で吉原の十二カ月をアートで辿っていくという趣向で、写真撮影OKな江戸風俗人形で吉原の様子を再現した大型ジオラマも用意。地下の展示が吉原の「陰」とすれば、地上の展示は吉原の「陽」。発表当初に語られていた「文芸やファッションなど流行の発信の最先端」としての吉原をこういう風に見せたかったのだろうと。当初はこの3階みたいな「陽」の展示のみの予定だったのか、プロモーションで触れなかっただけで最初から「陰」も見せる予定だったのかはわかりませんが、会場全体で吉原の陰陽を表現しているのだとしたら、ある意味凄いのかもしれません。
■とはいえ、3階の「陽」展示で引っかかったのは「吉原の遊女達は絵や狂歌や芸事も嗜んでいて教養があった」というのを強調しがちな展示・解説があったこと。コミックの『もっこり半兵衛』『仁 -JIN-』など、吉原を扱った作品でよく触れられていることですが、遊女達が教養を身につけようとした理由は「生存戦略」という面が大きい。教養があれば地位の高い男の相手をする機会が増え、吉原の中でもいい生活を送れたり、身受けをしてもらって吉原から抜け出せる確率が高まるためだ。
苦界に身を落とし、そこから抜け出す手段として教養を身につけなければいけない状況を「遊女もアートを嗜んでいた」という文脈で語って良いものなのか。「遊女もアートを嗜んでいた」が間違いでないのなら、何故吉原の住人である遊女達の作品は今日までほとんど残っていないのか。そして「流行発信の最先端・吉原」から生まれたとする今回の展示作品の多くが、当時の男性アーティストが「“外から”見て描いた吉原」がほとんどなのは何故なのかと。
「江戸時代における吉原は、文芸やファッションなど流行発信の最先端でもありました」というのはある意味正しいかもしれないが、アートとしての吉原は男性アーティスト達にとっては「素材」でしかなかったのではないか。吉原という閉鎖空間で生きるしかなかった人間からの表現がほとんどないことを、今のアート関係者はどう捉えて今回の「大吉原展」を企画したのか?
展示内でも触れられていたが、何度も吉原を見舞った大火原因のほとんどは、搾取と虐待に耐えかねた遊女による放火だったという。そして歳を重ねて出世も身受けもできなかった遊女は「切見世」と呼ばれる長屋に押し込められて客を取りながら暮らすという最底辺の境遇へと追い込まれている。
今回の展示作品の中でも、遊女の格差を並べて描いたり、酔って浮かれ騒ぐ男達の相手を極めて冷静にこなす遊郭の女達の姿を描くなど、あえて吉原の「陰」を描こうとした作品はわずかながらに存在している。はたしてそれは「流行発信の最先端」な場所の姿なのだろうか。
■結局今回の展覧会は「アートとしての吉原」を見せることを大前提にしたばかりに、妙な歪みが生まれてはいないだろうか。吉原に売られる少女が生き残れるように、主人公が勉強を教えるエピソードが描かれた『もっこり半兵衛』、梅毒で短い生涯を終える遊女を救うために、タイムスリップした医者が江戸時代にペニシリンを生み出そうとする『仁 -JIN-』といった、様々な形で吉原に向き合ったフィクションもあるのを知った上で今回の展覧会を見てしまうと、どうにも「吉原」の受け止め方が軽く思えてしまうのだ。
■自分はアートの専門家ではない、単なる一鑑賞者に過ぎない。それでも、感じてしまった以上はこうして感想を書かざるを得ない。吉原が辿った歴史から浮かび上がった性に関する様々な問題は現代もなくなったわけではない。ならば自分が感じたことをまとめることが、そういった問題に自分がどう向き合うかを考えることにも繋がるのだから。
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