【BOOK REVIEW】昭和の民族史とプロレス史を体現する一人の男の物語-『真説・長州力』-
■前回の『痛みの価値 馬場全日本「王道プロレス」問題マッチ舞台裏』レビューにも書いたが、子どもの頃の自分にとってのプロレスとは、地元の遊園地にやってくる全日本プロレスの興行がすべてだった。そんな自分がプロレスにのめり込むようになったきっかけは、タイガーマスク(佐山サトル)目当てで弟が見ていた「ワールドプロレスリング」のある試合だった。そのカードは確か長州力 アニマル浜口組VS坂口征二 キラー・カーン組のタッグマッチ。長州と浜口のハイスパートレスリングを坂口が受け止めていく展開の中、キラー・カーンが叛旗を翻して坂口にアンドレ・ザ・ジャイアントの足を折ったダイビング・ニードロップ! そしてリング上で長州達に合流するというエキサイティングな流れに思わずのめり込んでしまっていた。それがファンとして現在に至るまでその戦いを追い続けることとなる長州力との出会いだった。
■あの時代のプロレスをリアルタイムで見ていた人ならわかってもらえると思うが、長州力の存在はアントニオ猪木とジャイアント馬場の二大巨頭がすべてだった日本のプロレスの流れを大きく変えた、正に「革命」だった。序列の下の者が上の者に噛みつき戦いを挑む下克上、息をつかせぬハイスパートレスリング、維新軍団というユニットでの活動や日本人対決、短いセンテンスでインパクトを与えるマイクアピールのセンス、そして独立団体の立ち上げなど、現在のプロレスにおいて当たり前となっている風景を作りあげていったのが長州力だった。もしも長州がいなかったら、今の日本のプロレスは違う姿をしていたのではないだろうか。
■そんな長州力に関する本は今までも色々出ていたが、それらはあくまで「プロレスラーとしての長州力」であり、書き手の視点もプロレスの側からのものだった。それらとは一線を画す、長州力という「人間」の実像を追ったノンフィクションが出たと聞き、発売日に購入して読み始めた。それが田崎健太氏の執筆による『真説・長州力』だった。
この本がこれまでの活字プロレス本とはまったくの別物である事は、帯のテキストにあるこの一文だけでわかる。
本名・郭光雄、通名・吉田光雄
これまでメディアなどではあまり語られることのなかった、長州力の在日朝鮮人という出自を帯に堂々と書いてあるのだ。ヘイトスピーチが社会問題化し、Twitterなどでは「国を愛する普通の日本人」と称する人間が外国人への常軌を逸した呪詛を毎日垂れ流している昨今を考えると、これは長州力本人のみならず、著者の田崎氏にとっても、出版元の集英社にしても、大変勇気の要ることだったと思う。そして、この帯こそが「長州力という人間の生き様を追う」というこの本の決意表明なのではないだろうか。
■この本の面白い所は、プロレスラーや団体関係者のみならず、学生時代の友人・恩師・先輩・後輩、共にミュンヘンオリンピックで戦った別競技の選手、さらには事務所のアルバイトや運転手に至るまで、長州力と関わってきた多くの人達の証言を集めることで、人間としての長州力を浮き彫りにし、その人生を明らかにしていってるという点だ。控えめで実直な性格とレスリングの類い希なる実力で、関わる人全てから愛された「吉田光雄」が、プロレスの世界へと足を踏み入れて「長州力」となってからは、様々な人々の生々しい感情や思惑がぶつかり合う中で慕われることもあれば、殺してやると言わんばかりに憎まれたりもする。かつて長州と深く関わってきた二人のレスラーに至っては、語ることすら拒否されたというほどに。
さらに長州力を語ることで、彼自身のみならず、プロレスという特殊な世界とそこに生きるプロレスラーや団体関係者の生の姿と本音に触れられるのも、この本の面白い所だ。長州力が新日本プロレスを離脱してジャパンプロレスを立ち上げた後でも、アントニオ猪木に対しては尊敬の念を持ち続けていたという証言や、アントニオ猪木が大仁田厚の独特のカリスマ性を危険視して彼を新日本にのマットに上げることに反対していたこと。そしてUWFインターが長州力にその存在意義すらも叩きつぶされたというイデオロギー闘争の過程など、あの時代のプロレスファンなら気になるはずの様々な事件や出来事についても新たな視点が得られるので、興味のある人なら必読だ。
■そして、この本のもう一つの注目点は「長州力」を通した在日朝鮮人の民族史としての側面を備えている点だ。ネット上ではその名称だけで思考停止してしまい、在日特権なるデマや思い込みを声高に叫び罵る哀れな人々があふれているが、実際に彼らはどのように日本で生きてきたのか? 日本人が彼らとどうつきあってきたのか? その点について様々な角度から語られているのだ。
現在と同様のヘイトを言葉や暴力で示す者も存在したが、その一方で国籍や出自よりも「人間」を見る真っ当でおおらかな人々も数多くいたのが、長州力が生きた時代だった。何故当時帰化していなかった「吉田光雄」が国体に出場しレスリング日本一になれたのか? 日本で生まれ育った彼がどうやって韓国代表としてミュンヘンオリンピック出場のチャンスを掴んだのか? すべては「人間」として彼を判断し評価する人々がいたからなのだ。個々の人間を見る前に、国や出自で判断して罵り蔑む自称「国を愛する普通の日本人」があふれる今の時代と比べたら、どちらが真っ当な時代だろうか。その流れで明言こそされていないが、アントニオ猪木が朝鮮半島を新たな活動の場として70年代から目を付けていたことがわかるのも面白い所だ。北朝鮮・平和の祭典に始まり、議員になってからも北朝鮮にこだわる猪木の源流は、ここにあったのかと個人的には面白く感じた部分だった。
■70年代から現在に至るまで、プロレスラーとしてど真ん中をかけ続け、晩年には大きな挫折もあった長州力。彼の「革命戦士」というベールを剥いで、生々しい「人間」としての姿に迫った『真説・長州力』は、長州力という一人の人間の生き様を通して自分の人生をも考えさせられる一冊であると同時に、プロレスそのものの面白さを再認識させてくれる一冊でもあった。リングでの栄光や天下をとることに貪欲な人間達が、それをさらけ出しながらリング内外でぶつかり合う魑魅魍魎の世界が面白くないわけがない。プロレス村の住人でないが故に、慣習に囚われることなく長州力とプロレスの世界に肉迫したこのノンフィクション、間違いなく読み終えた後に世界を見つめる視野を広げてくれる一冊だ。